非日常への憧れと、日常への倦怠を感じる人へ


日常と非日常というのは「よくあること」と「滅多にないこと」という分類である。両者ともに現実を類型化したものに過ぎない。したがって、両者は対立する概念ではない。


つまり、実際に起こった出来事を人間が解釈し「これは日常だ」「これは非日常だ」と言っているに過ぎないのである。


しかし僕は、日常も解釈次第では面白いですよ、などと言うつもりはない。


僕が言いたいのは、日常と非日常はともに現実なのであって、日常を見ていなければ、非日常を見ることもできない、ということだ。


たとえば目の前で交通事故が起こったとする。で、ヒマなので見ていると警察とか救急車がやってくる。事故を起こした当事者でなくとも、目の前で事故が起こったというだけで「目撃者」としてその事故に関与することができる。場合によっては裁判で証言するなどの「非日常」に触れることができるかも知れない。


しかし、ここでたとえば事故が起こったときに別のことを考えていて事故の状況を詳しく見ていなかったら、そうした機会を逃すことになる。非日常に憧れ、日常を見ることを疎ましく思ってしまったなら、それは逆に自分自身を非日常から遠ざける結果になるだろう。


それゆえに非日常に憧れるなら、まず何よりも退屈な日常をありのままに見つめていくということ、そしてほんのわずかな主体的な行動*1が必要だと思うのだ。

*1:事故の例で言うなら、「目撃者として証言しましょうか」と当事者に申し出ること