フェミ腐女子のネタは、どうしてこうも意味が分からないものなのか?


まず、本題に入る前に、一時期ヨーロッパで巻き起こったイスラムに対する風刺画問題の話。


あのとき色々な風刺画が描かれたらしいが、そのなかに顔を両手で覆った預言者が「バカに愛されるのは辛い」と言う風刺画があったらしいのである。僕はその話を聞いて不覚にも笑った。そしておそらくその風刺画を見たイスラームの人々は烈火の如く怒ったであろう。


風刺の基本は侮辱であり、罵倒である。そうしてこそペンが武器となる。


さて、先日、萩上チキ氏が「はてなちゃん」のアフレコをした。はてなちゃんとは言わずもがなはてなのマスコットキャラとして注目を集めている少女である。有志によってイメージイラストが描かれ、ふきだしに自由に書き込んで良いことになっている。そしてチキ氏のブログである成城トランスカレッジに「はてなちゃん」のセリフの朗読が公開されたのである。


そのなかにはチキ氏が関わっている論争をネタにしたものがある。しかしコレ、風刺だとか皮肉として弱いどころか、意味が分からないのである。


チキ氏は「はてなちゃん」に、フェミナチフランクフルト学派の陰謀だのなんだのと言わせている。この陰謀云々というのはジェンダーフリーフェミニズム共産主義であるというレッテル貼りの文脈で使われるものである。ではチキ氏にとって、フェミナチの陰謀を語る「はてなちゃん」は敵側のキャラなのか?


それに、もしそうだとするとしなもん」のネタは純潔教育を受けた少女がセックスしたいあまり犬に手を出すというストーリーになってしまう何が言いたいのか分からない。やおい好きのはてなちゃんは処女ではあっても、断じて某宗教の影響を受けた純潔教育など受けていない!*1俺は不愉快だ!


そもそもなぜ「はてなちゃん」を自らの敵対勢力に擬するのか分からない。


俺は心情としてはジェンダーフリーを応援したいのである。ジェンダーフリー叩きをやっている団体が某市に出した要望のなかに、ジェンダーフリーの排除とともに同性愛を排除するような文言があったからだ。両者の排除はセットになっている。


同性愛を排除する発想は日本の伝統に根付いたものではない。もともとキリスト教のものである。だからバイセクシャルである俺は断固として同性愛を排除しようとする勢力に抵抗する立場を取る。


しかし、あまりにもフェミ腐女子のやってることはワケが分からない。それゆえに俺はジェンダーフリーを応援できないのである*2


【関連リンク】
はてなちゃんのアフレコしてみた。今は反省してる。

*1:かなり個人的な思い入れがありますな

*2:「別にアンタに応援してもらわなくても良いわよ」という声が聞こえてきた