他人に見せる文章を書く際に必要な判断力


はてなグループ断片部の「ユウガタ」で、大学のレポートとかで自分語りするやつが増えてきたというエントリを読んだ。


そこには具体的にどうという話は書いていないのだけれど、高校時代に新聞部をやっていたときのことを思い出しながら、たぶんこんな話じゃないかということを書いてみる。


自分の高校の新聞部はわりあい硬派で、毎号社会問題を取り上げたりする。で、あるとき後輩が水俣病について書いてきたのね。そいつはどこかで水俣病の展示を見てきたらしいんだけれど、書いてきた記事のなかで展示スペースの様子が描写してあるんですよ。ビルの階段を上がったら右側に展示会場があったとかどうとか。


それ読んで俺が「水俣病についての記事なら水俣病についての説明に重点を置こうよ。君が展示に行ったことなんか誰も興味持たないよ」と言ったら「いや、こういう文章のほうが臨場感があるんだ」と言ってくる。


でもそいつが記事書いてきた段階でその展示は終わっている。だから展示自体のニュースバリューは皆無。ここが重要なんだけれど、記事を読んだ人に展示に行ってもらおうという趣旨なら、俺もそういう描写が必要だなと思ったと思う。そこには、読者に対する明瞭なメッセージがある。


また、一般的に言うと現地を歩くルポなら掲載価値がある。たとえば問題が起こった当時とくらべて、今、現地がどう変わっているかを書けば、その問題が風化しているかどうかについて書く素材になるだろうと思う。いや、実際歩いたことがないから断言はできないが。これは展示の描写など非にならないほどのインパクトがある。


結局紙面の都合を理由にして展示云々の部分はカットした。(いやな先輩だな俺)(当時、独裁者の異名をとっていました)


さて、話を戻す。「ユウガタ」のエントリでは大学のレポートを念頭においている。だったらなおさらのことである。まともな大学教授なら、どの本を読みましたとかそれを読んで私はどう考えましたなんていうことを描写しなくても、与えられたテーマそれ自体について書いておくだけでどの程度の本を読んでどの程度理解しているかなんてのは分かるはずなのである。あえて自分はこれだけの本を読みましたと主張したいなら、レポートの最後に参考文献一覧を書いておけば良いのであって、いちいち本文中にそんなことを書くのは意味がない。


あと、大学のレポートなら「字数稼ぎ」ということもあるかも知れない。でも俺の新聞部の事例の場合、素で言っていたと思います。素でそういうことを言う奴がいるんです。これは間違いない。


まぁともかく、他人に見せる文章を書くときは「自分はなぜこの人にこのことを説明するのか?」という判断することが、絶対に必要。


【言及記事】「人間力
http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20061222/p1