『君と緋色の恋を抱き』

はてな年間100冊読書クラブの活動をすっかり忘れていた。8月だってのにまだ10冊目だよ。たぶんこのペースだと来年1月までに100冊は読めないな。


昨日読んだリンクスは放っておいて、今日は文庫本である『君と緋色の恋を抱き』という小説を読んだ。華族の息子 裕利 とその使用人 浩太 の恋の物語である。もちろんボーイズラブ小説だ。


一応、ラストで泣ける。文章がヘタクソなのが気になったが、まぁBLはそんなもんだろうと思うのでそこはあえて触れない。


触れておこうと思うのは、浩太の性的な発達の部分である。


思うのだが、いくら自分が勃起したのを見るのが初めてだからといって「病気になった」と思う男の子はいない。浩太を性の知識のない純粋な男の子として描きたいようだが、自分の子供のころを振り返ってみると、勃起だけでは驚かなかったと思う。


自分が初めて勃起したのは小学2年のころだった。たぶんかなり早熟な部類に入ると思う。小学2年だったときの自分は性教育など受けていない。けれども、勃起は知識として教えられなくとも感覚的に理解できるものだ。


むしろ男の子が驚くのは、精通(最初の射精)である。僕は最初の勃起と、それから精通が起こるまでの間にはかなりのタイムラグがあった。そして両者は、まったく違う感覚だ。


勃起は、気づいたらちんこに力を入れていたという感覚である。力を抜いて放っておいたら、自然と柔らかくなっていく。これに対して射精は、白濁液尿道を通って放出され、そして皮膚の表面を流れていく。これは知識がないと何が起こったのか理解できない。これを「白いオシッコが出た」と思い、病気になったと勘違いする男の子はいるようだ。


たまたま勃起と精通が起こったのが同じ時だったために、両者をひとつのものとして認識した男性もいるかも知れない。しかし「君と緋色の恋を抱き」においては浩太の最初の勃起から射精までにはタイムラグがある。ぶっちゃけ、小説中で浩太は裕利のことを想って勃起し、そのあと知識がないままに裕利とセックスして初めて射精するわけだが、そうであるならば射精のときのほうが驚くだろう。


まぁ、このくらいは勘違いしても仕方がない。ここまで正確に理解している女性作家がいたら逆に怖い。