朝日新聞投書欄の変遷。


朝日新聞の投稿欄「声」は、2chにスレがあり、妙な文章は晒しあげられている。際立ったものを集めたまとめサイトもある。


ここで白状すると、自分の文章が「声」に載ったことがある。


掲載されたことがあるのは自分が16歳のときと21歳のときの2回だ。まぁ21歳って去年のことなんだけど。自分が朝日に投稿したの自体は計3回だ。つまり6割の確率で掲載されている。ネット的に見たらキチガイだろう。


最初に朝日のキチガイ投書を集めたサイトを見たとき、俺もネット上で実名で晒しあげられてる知れないぜワハハハハと思ってサイトをすみからすみまで見たのだが、自分の投稿は掲載されていなかった。どうやら残念なことに自分はキチガイとしても中途半端のようだ。


ちなみにこのブログで使っている「澄良木修司」はペンネームなので、この名前で朝日の縮刷版をくまなく調べたところで自分の投稿はでてきませんので注意。


さて、朝日投書欄の変遷について語ってみよう。最初に自分の投稿が掲載された16歳から去年までの間に、朝日の投書欄はずいぶん変わったと思う。


いや、紙面のキチガイ度が変わったかどうかはともかく、仕事ぶりは随分変わった。2002年には2ちゃんねらーによる偽名のネタ投稿を掲載してしまった赤井邦道の事件があった。それ以降、きっちり身元の確認をするようになったらしいが、それとは直接関係ないところでも変わっている。


なんと言っても、自分が最初に掲載されたときには最終的な文章を見せて貰えなかった。配達されてきた紙面を見て、あれ、随分直されているなと思ったのである。むろん担当者がまったく自分の意思を無視して文章を直したわけではなく、電話で担当者からの質問に自分が答えたことが反映されていたのではある。ただ、最終的な文章が紙面になるまで分からない、というのは明らかに狂っていた。


それが変わったのは、やはりインターネットの影響ではないかと思う。自分の文章が朝日に掲載されたのと同時期か、あるいはそれよりしばらくたってから2chなどで朝日の投書欄のウォッチが始まった。担当者が直しを入れた部分にツッコミを入れられたりしていたら、投稿者としてはさぞや不愉快なことだろう。他の投稿者から苦情があったのかどうかは知らないが、自分が去年投稿したときはメールやファックスを使って文章をやりとりして、自分が最終的に納得した文章が掲載されるようになっていた。


ただそれは、投稿者が何か言えば担当者が手を加えたものを変えられる、という話であって、何も言わなければ担当者の趣味で妙な直しを加えられるから注意である。自分は文章の最後に一言つまらぬ蛇足を付け加えられた。その一言で文章の雰囲気がガラっと変わってしまったので、削除するように申し入れた。ただ紙面の都合もある。人畜無害な字数合わせの言葉を付け加えて送った。それでも細かい部分を直そうとする担当者と自分の間で、なんども電話のやりとりをした。


そういう面倒なことをやっても、図書券3000円分しかもらえないので小遣い稼ぎには向いていない。必死になって投稿せず、投書に値する話題があったら送る、くらいがよいと思った。でも一度やってみるといいと思う。投書するのは、朝日でも産経でも好きな新聞でよいのだけれど。