音羽くんは一度逮捕されるといい

概要

id:kyoumoeさんによって「音羽理史」がキーワード登録され、音羽君はこれに対して、自分は私人だからと言って削除要請をしてきたのである。

音羽君(id:gerling)はまず、

ウェブ上で名前が知られてるといっても、数百人単位では法律上では公人にはならないですし、少なくともぼくが新書でも出したのでない限り、法的に公人にはなりません。

と、法的な見解を基準に持ち出した。(どこに典拠があるのかは知らん)
そして、

理由を書くときは法的な根拠をもって書いてください。

と、のたまったのである。
それまで削除申請を蹴っていたid:ktuo2002さんは音羽くんの言うことに本当に法的根拠があると思ったのか、音羽くんのこの発言以降、コメントをつけていない。


自分はまず、音羽くんに対して、そっちから判例を出せといった。しかし音羽君は「一般的な見解」だとか「例はいっぱいある」だとか言って、結局具体的な判例を出さなかった。そして、あげくのはてにこちらに対して判例を出せと言う。


そういう風におっしゃるなら、キーワードのコメント欄では足りないので、こちらを使って、いままでの議論をひっくり返す判例をお出ししましょう。これまでの議論が「音羽くんは法律を知らないのに法的根拠があるかのように言っていた」という大爆笑の喜劇になるから。

「私人」の「私生活」の公表を認めた最高裁判例


私人の私生活上の行状であっても、その携わる社会的活動の性質およびこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法二三〇条の二第一項にいう「公共の利害に関する事実」に該当する場合がある


という判例があります。つまり、私人であろうと公人であろうと関係なく、その社会的活動の批判・評価に対する資料になるのであれば、プライバシー侵害にはならず「公共の利害に関する事実」となる。


音羽くんが「法的な根拠をもって...」というので、こちらもそれに相手してあげたけれど、そもそもは法律上は私人公人など関係のないお話である。さらに、音羽君は私人公人の定義を示す判例すら示せなかった。結果、音羽くんが法律を知らないことが浮き彫りになった。


で、まぁ一応相手をしておこう。


gerling 『評論家はみなし公人として認められるというのが一般的な見解ですが、ネット上の著名人がみなし公人として認められた例はないので。だいたいPVはユニークアクセスじゃないですよ。』


それを言うなら判例をひとつだして「評論家」の概念が「ブロガー」には適用出来ないということを書けばよかろう。


gerling じゃあ、ネット上のウェブページで公共性が認められたという判例を出してください。著作等によって公共性が認められた例はたくさんありますので。


ウェブページでの発言に対して名誉毀損を成立させている判例がある(具体的な判例を出して欲しい?)刑法230条は、「公然と」事実を摘示し名誉毀損が行われた場合に成立するものだが、ウェブページのアクセス数が少ないから私的なものであって、「公然と」名誉毀損を行ったことにはならないなどという判例はないはずだ(あったら教えてください)


それと、これは判例ではないけれど、総務省はウェブページが公選法上の「文書図画」にあたるという見解を示している。自民党民主党はウェブページ上での選挙運動を解禁するかどうか議論している。もしウェブページに文章を書くことが公共性がないなら、そんなことは議論するまい。


だから司法も立法も行政も、ウェブページで文章を書くことに公共性があるという考え方をとっている。


そういうわけでオーマイニュースで本名を使い記事を書いていた音羽くんが、実名をキーワード登録するな、といってはてなを訴えたところで、勝ち目は低いと思う。法的な見解は、以上です。


しかし、実は僕は音羽くんの考え方にも価値を見出している。ウェブページが公共のものであるという発想に基づいて、ウェブページの言論弾圧が行われる可能性があるからだ。そうした可能性に対するアンチテーゼとして、音羽くんの考え方は一定の価値がある。


僕としては音羽くんがどこかで名誉毀損をやらかし、逮捕され、そのうえで「ウェブページは私的なものだ!"公然と"事実を摘示し名誉を毀損してはいない」という闘争を展開してくれたら音羽くんを見直すなあと思う。まぁそんな大物ではないと思うけど。

蛇足:荻上チキさんの話


小谷野さんは最近、荻上さんが本名で書いた修士論文を読み、そこには荻上さんがネットで加わった議論について書いており、かつ、その論文には荻上さんがつくったサイトのことが一切書かれていないということを指摘している。荻上チキというハンドルネームと彼の実名を結びつけることは、彼の修士論文を論評するうえで必要な情報なものだということが明らかになった。


それは荻上さんが新書を持っているから公人だとか、そういう論点は関係がない、と僕は思っている。