「瞳をとじて」の同性愛的解釈


平井堅の「瞳をとじて」という歌は、最初のフレーズからツッコミが入りまくっている。


朝目覚めるたびに君の抜け殻が横にいる

瞳をとじて」は「世界の中心で愛を叫ぶ」(セカチュー)の主題歌だった。そのストーリーと絡めて、この歌は彼女の死体と一緒に寝ている状態を歌っているのだと言う人がいる。あるいは2chなどを見ると、毎晩脱皮する爬虫類と添い寝しているとかいう説が流れている。なぜみんなそんなグロテスクなことばかり考えてしまうのだろう。


もっとも自分はこの歌をセカチューから離れて解釈することには賛成である。ゲイ(ホモ)の失恋の歌として解釈することにしたい。


あるゲイ(ホモ)の男性が、ノーマルな男の人と同棲していた。同棲しはじめた理由はわからない。きっと一緒に東京に出てきたとか、そういう理由だったのだろう。今の言葉を使うとルームシェアをしていた。


しばらく暮らすうちに2人は仲良くなった。そこまでならいい。しかし、ゲイの男性はノーマルな男の人に恋をしてしまった。そして、悩みぬいた末に相手にそのことを打ち明けた。


そのことを打ち明けたところ相手は嫌悪感を感じるようになった。今まで仲がよかったのに、まるでそれが嘘のようになってしまった。


相手は引っ越すとか言いはじめた。引っ越すまでの間の日々。朝、目覚めると君が寝ている。でもそれは今まで僕と仲が良かった君じゃない。まるで「抜け殻」のようだ。


ぬくもりを感じた いつもの背中が冷たい

これまであたたかかった君が、急に冷たくなってしまった。


記憶の中に君を探すよ それだけでいい
なくしたものを 越える強さを 君がくれたから
君がくれたから

仲が良かったころの記憶をたどる。それだけでいい。≪告白しなければすべて失うこともなかったのに≫という後悔を感じつつも。


はい妄想終了です。全体としてみると整合性がありませんね。引用しなかった"Your love forever"は「あなた(から)の愛は永遠に」であって、翻訳にかけると「永遠に愛してください」って訳されますし。