首相官邸の決断
はてな年間100冊読書クラブに出す1冊目。
長期にわたって内閣官房副長官を務めた石原信雄氏のインタビューをまとめたいわゆる「オーラルヒストリー」本。ブックオフで105円で購入。
- 作者: 御厨貴,渡辺昭夫
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1997/10
- メディア: ハードカバー
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石原信雄氏は1995年、都知事に立候補して青島幸男に敗れている。石原氏が内閣官房副長官を退官したのは同2月24日、そして都知事選挙が行われたのは同4月9日だった。
「退任が遅れて挨拶回りもろくにできないまま知事選挙に入った」と、石原氏はインタビューのなかで語っている。その退任の遅れ具合は半端ではない。最初に退任しようと思ったのは宮澤内閣が成立し、当時の鈴木俊一都知事から都政に誘われたときだったという。しかし、実際に退任したのは村山内閣の途中だ。その在任期間は7年にも及ぶ。
その最大の理由は、政権が代わるなかで政治改革などの懸案の経緯を知っている者が官房にいたほうがよい、ということになるだろう。それともうひとつ、政権が交代しても人脈的なつながりが断ち切られたわけではない、という点も挙げられる。
自治省の事務次官という経歴を持つ石原氏は、熊本県知事を務めた細川護煕氏と付き合いがあった。また、細川内閣で官房長官を務めた武村正義氏は自治省の後輩だったという。そうしたこともあって、細川内閣成立後に事務引継ぎ──石原氏は細川内閣成立時点でも辞めるつもりだった──のために細川護煕氏、武村正義氏に会いに行ったときに「ざっくばらんにいろんなことを話した」という。そしてその後細川氏と武村氏から留任を要請される。
細川内閣は非自民政権だ。しかし、人脈的にまったく新しいものになったのではなく、継続性はあったのである。不安定な状況であるがゆえにかえって付き合いのある人間を使いたいという気持ちが働いたのではないか、などと妄想してみる。