遅刻時の「連絡」のルールを変えれば、待たされるストレスは溜まらない。

携帯を持っていれば連絡ができるはず、という幻想こそ問題。


携帯電話の普及後、遅刻のときには『待たせる側』が連絡をすることがマナーであるとされる風潮になっている。「実は××で…」と遅刻の言い訳をしようものなら「何で連絡しなかったんだ」という風になる。


人は必ずしも連絡を取れるわけではない。秋葉原通り魔事件の際に負傷しながら勤務先に連絡を取った人がいる。そう週刊誌で報じられていた。電話を掛けたことが悪いことだとまでは言わないが、これを美談としてはならないと思う。そんな時にはまず自分の体を気遣うべきだろうし、倒れている人がいたら手を貸すべきだ。勤務先への連絡なんか、最後で良い。


さて、最近、「地下鉄の遅れで面接に遅刻し連絡もできなかった学生」について言及した、以下のようなエントリがホッテントリ入りした。


副都心線は世界を変える、あなたがそれを望みさえすれば


このエントリには賛成できない。理由は2点ある。


まず、この問題は時間を気にする気にしないの問題ではなく、携帯電話の生み出した幻想の問題だと思われるからだ。すなわち、携帯電話を持っていればどこからでも連絡できるはずだと思われているということだ。ここから「待たせる側」が遅刻時に連絡をしてこないのは不誠実であり、マナー違反だというような話になっているのだと思う。実際にコメント欄を見るとそのような意見も散見される。


また、そもそもエピソード自体が「作り話」ではないかという指摘がある。ありがちな話だからモデルケースとして良いという意見もあるが、どうしても違和感がぬぐえない。それならば2ch系ブログからの引用ではなく「このような話があったとする……」という仮定でよいと思われるからである。


有村悠id:y_arim)さんはブックマークコメントでsjs7の記事に対して、なんと「真っ当な問題提起の良記事」と言っている。何をもってそう言っているのかまったくもって理解に苦しむところである。問題提起としての意味はある。しかしどう考えても真っ当でもなければ良記事でもない。あれは単に物議を醸したというのである。

「待たせる側」の「言い訳」を待つのではなく、「待つ側」が携帯メールなどで「どうするか」を決めてしまう。


「待つ側」が遅刻に対してどうするか判断を下すということだ。「待たせる側」からの応答があればもちろん話は聞くべきだが、応答がないようであればメールで一方的に通告してしまってよいと思うのだ。たとえば何かの待ち合わせなら「あと5分待ったら、私は先に映画館のなかに入ってます」などと言ってしまう。さきほど出ていた面接なら「10分以上遅れたらその日の最後に面接をするか日を改めることになります。事情はあとでお伺いします」などと一方的にメールで通告してしまう。そうすることで待たされることによるストレスを軽減することができるし、また、何らかの理由で応答できない状況におかれている「待たせる側」に対して、連絡しなければならないというプレッシャーを強いることがないのである。


付け加えるなら、連絡の手段として電話は避けるべきだと思う。約束の時間に相手が来ないと、しばしば、「待つ側」から、電話を入れて「どうしましたか?」と連絡する場合がある。しかし「待たせる側」は何か非常事態に巻き込まれているのかも知れない。非常事態に巻き込まれていなくとも、駅での待ち合わせの場合、約束に遅れた相手がまだ電車内にいるというのはよくあることだ。自分も、電車やバスのなかで待ち合わせの相手からの着信があると悩んでしまう。ときどき「すみません。今電車内なんで…」とだけ言って電話を切るサラリーマンを見たこともある。マナーを弁えているひとは電話を掛けた際「いま、大丈夫ですか?」と聞くが、約束遅れの場合にはそもそも電話を掛けないほうが良いと思う。


私の提案はこれまで「マナー」と称されてきたものとはずいぶん違う。しかし、これらは「待つ側」の考えひとつで決めることができる。遅刻時の連絡のルールを変えて、待つ側、待たせる側、お互いにストレスのたまらない社会にはできないだろうか。