酒鬼薔薇世代に必要なのは新しい名称と新しいイメージだ



村山さんが、スイスの人たちが来てもすぐに活動しなかったので、はらが立ちます。ぼくは、家族が全員死んで、避難所に村山さんがおみまいに来たら、たとえ死刑になることが分かっていても、何をしたか、分からないと思います。


これは神戸連続児童殺傷事件の犯人が小学校の卒業文集に書いていた文章である。阪神大震災の被災体験を書いたものであり、「村山さん」とは当時の総理大臣、村山富市のことである。

一国の総理大臣への「テロ宣言」とも読み取れる文章を卒業文集に掲載した教師が不見識だったと言えるだろうか。教育の不備としてあげつらわれるべきだろうか。僕はそうは思わない。

社会を震撼させた大地震は、少年にさまざまなことを考えさせた。それが卒業文集に残っていた。それだけである。

「個の尊重」教育が問題だったのか?


僕は酒鬼薔薇世代だ。1983年生まれ。神戸の連続児童殺傷事件が起こったときには中学二年生だった。当時のことはよく覚えている。そこで今回は僕から見た僕の時代を語ってみることにしたい。


 「自尊感情や他人の痛みが分かる心が育っていない。他と切り離された『個』の自立を重視し、他者とのつながりの中で生かされている自分を発見し、社会に参画する力を育てることをやってこなかった」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080621/crm0806212257025-n2.htm

教育は地域によって違ういうような意見もあるが、東京の郊外にある町で育った僕は「個を尊重する教育」を受けていたと言えると思う。しかし、個を尊重する教育なるものが僕をつくったとは思えない。

僕が中学二年生のときに『ゴーマニズム宣言 戦争論』が発売された。それを読み、リベラルっぽいことを言っている社会科教師に議論を吹っかけたこともあった。しかし、その教師は「そういう考えもありますね」としか言わなかった。その限りにおいて、僕は学校教育から「個」(思想信条の自由)を尊重されていたと言えるのだ。

それが良かったのかどうかは分からない。しかし僕は「(産経が嫌いな)自虐史観だとか 左翼の型にはめられなくて良かったじゃないか」と毒づきたくなる。「個の尊重」なるものは、それ自体では毒にも薬にもならないものだ。

それにいくら「個の尊重」って言ったって、殺人を肯定するような発言まで尊重していたわけではない。中学時代にはそういうことを言う奴もいたが、さすがに教師から他人の痛みが分からないのかと言われていた。僕自身は根本的に他人の痛みが分かるはずはないと思うが、一応そういうことを教えられてはきているのだ。

「時代の激変」のなかで思春期を迎えた世代。名をつけるなら「荒波世代」「革命世代」だ。


僕は時代の激変を感じ、それに対して自分なりに考えてきたつもりだ。小学生のころには五五年体制が終焉し、非自民政権である細川政権が成立した。さすがに小学生に細川政権の何たるかは分からなかったが、親をはじめとする大人たちが言っていることを聞いていれば世の中が変わったんだということくらいは理解できた。九五年には阪神大震災地下鉄サリン事件。中学生になるとインターネットの普及が始まった。

そして酒鬼薔薇事件。少年Aが阪神大震災について言及するなかで総理大臣へのテロ宣言とでも言うべきものを書いていたことは先述の通りだ。たくさんの人が死んだ阪神大震災は、彼にどのような影響を与えたのだろうか。本当のところは分からない。

事件後、メディアが犯人の少年の発言を報じた。いわく、人の命はゴキブリと同じではないかと発言していた、と。この報道によって、僕も人間の生命の価値はなんなのかということを考え始めた。「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いかけに対して答えを見つけようといろいろと考えた。それは決して人を殺そうと思っていたわけではなく、考えていたのだ。「人間は社会契約によって国家をつくっている。人を殺しても良いが、それは社会契約に対する違反・反逆として死刑にされる」というような結論に達したのは高校生になってからである。

あの頃、社会は激変していた。根本的な倫理道徳すら揺らぐなか「自分で考えるしかなかった」としか言いようがない。中学生のころに『ゴーマニズム宣言』に感化された世代などとも言われるが、感化というにはあたらない。なにしろ僕は「朝日新聞」の広告でゴーマニズム宣言を知ったのだから。小林よしのり氏が朝日新聞を批判しているのを見て「徹底的に議論しろ。何が真実なのかを明らかにせよ」と思った。

こういう時代にあって、なにかの思想を押し付けるような教育だったとしたら、到底うまくいかなかったろう。河上氏の言うように、あの時代に自立だとか個の尊重ということが重視されていたとするならば、それは激変する社会に適応した最善のことだったのかも知れない。

そして今、時代の激変の結果として格差社会となり、それを自己責任とせざるをえないキツさ。


気付けばそれから十年経った。時代の激変の結果、格差社会が生まれた。


「勝ち組はみんな死んでしまえ」という加藤容疑者の書き込みについて、河上氏は「いい大学を出て、一流企業に就職するのが幸せで『勝ち組』だという価値観が、若い人を追い詰めている」とみる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080621/crm0806212257025-n2.htm

なぜ意図的に「勝ち組」という言葉の意味を矮小化するのか。たしかに一流企業に就職した人間を勝ち組と呼ぶこともある。しかしそういう人間だけを勝ち組と呼ぶのではないだろう。

ステータスを持つことが幸せだと信じている人間は少なくなってきたように思う。現実に即して「幸せ」ということを考えるようになってきているように思う。「お金」「女」などの基準、あるいはそういう価値観から背を向けて「スローライフ」なんていうのもでてきた。

「お金」という価値観については、一定の結論が出た。東大を出てライブドアを創業した堀江貴文、京都大を出てはてなを創業した近藤淳也社長(id:jkondo)などを見れば、自由競争においてもやはり高学歴が有利だということが明らかになってきたのである。能力ということもあるし、学閥、すなわち人脈というのもあるだろう。

僕は「勝ち組」になることはできなかった。学歴もなければ、起業をしたわけでもない。それは自己責任で受け入れなければならない。社会が悪かったという責任転嫁はできないように思う。なにしろ、僕らの成長期に、社会は壊れていたのだ。自分で考え、自分で行動した結果、いまここにいる。

「荒波世代」「革命世代」は各人が強烈な個性を持った世代である。人格を規定するな。


さて、僕らの世代に他の名前がついていないのか調べてみたところ、どうも「プレッシャー世代」という名前がついているらしいということが分かった。しかし、これが普及しているとは思えない。何しろその命名を伝える記事で、この世代には名前がないので無理やりつけた、と書いてあるくらいなのだ。

僕の世代には、名前がつけにくい。ここまで読みすすめた読者の方には、その理由が分かってもらえると思う。時代の激変を感じ、そのなかで自分で考えてきた世代だ。だから各自が強烈な個性を持っている、と思う。それに、格差が生まれており、生活水準も天と地ほどの開きがあるだろう。それゆえに名前がつけにくいのだ。

その結果、産経新聞から「酒鬼薔薇世代」などという偏見に満ち溢れた名前をつけられても、それに対抗するような名前をつけにくい。僕だって世代によって人格を規定するような馬鹿げたことはやりたくない。だから、時代の激変とともに成長した世代ということだけを示すために「荒波世代」「革命世代」と名前をつけたい。