同性愛者の普遍性と個別性

「みやきち日記」で「「愛に性別は関係ない」の正体」というエントリを読んだ。


異性しか好きになれないのか、同性しか好きになれないのか、あるいは両性を好きになれるのかということを無視することの暴力性ということで、唸らされるものがあった。ことにバイセクシャルである自分は、同性愛者のことも、あるいは異性愛者のことも理解できてはいないかも知れない。


でも、それでなお、同性愛者とて普通の人間であると言うべきだと思うんだよね。それは、同性愛者と異性愛者の違いを無視することではなくて、両者の違いから生まれるものが普通の人間に理解できるものであると示すことだと思う。



例として適切なのかどうかは分からないけれど、障害者の例を取り上げてみる。


たとえば、目が見える人と、目が不自由なひとの間には厳然とした差がある。これを無視して目が見える人と目が不自由な人は同じだと言ったらすごい失礼だと思う。


でも、両者は同じ人間だ。それはなぜかというと、それまで目が見えていた人が何らかの理由で目が見えなくなったら、すべての目が不自由なひとと同じような苦痛であるとか困難を感じるという意味において、だと思う。同性愛者にも同じようなことが言えると思う。


人間にはいろいろな違いがある。それでも僕らは人間だ。


【参考記事】
「愛に性別は関係ない」の正体
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20070324#1174712981