未確認情報とネットリテラシー


「あなたがウェブで書いたことがすべて事実であると証明してください」──誰だってこんなことを言われたら面食らってしまうだろう。ブログなどで日々のたあいのないことを書いている人ほどそうである。「私が実際に体験したことだ」と言うほかない情報は、多い。


むろん、たいていの人間は事実関係の証明などせずにウェブで情報を発信することができる。それは反論する人間がいないからである。


しかし、当事者が事実無根だと言い放ったときにすぐに証拠を出せるような体勢を取っている人は少ないのではないか。言った言わないの泥仕合が起こることを想定してしっかり録音をしている人、あるいはブログの日記に書いた出来事をすべて録画している人はどれくらいいるだろうか。


証言が食い違った場合、第三者が真実をつかむ為の手段ははいろいろある。そうした真実をつかむ手法を否定するつもりはない。ただ僕はここで、証言者に対して追加の証拠を要求するなどという野暮な姿勢を捨てるべきだ、ということを強調したい。


たとえば言った言わないの泥仕合の場合では、バカの一つ覚えのように録音テープを出せという人間が出てくる。しかしもし仮に証言者が嘘をついていると仮定するならば、嘘つきに嘘の証拠を求めるということになる。仮にそのあと録音テープが出てきたとして、どうしてそれが真実のものであると言えようか。


それゆえ、自分で声紋鑑定まで依頼するつもりがないのに録音テープを出せなどとほざく輩を僕は軽蔑する。そういうヤツを見かけたら、あなたは法曹を気取っているのかと突っ込んであげるといい。


一般人としては「○○は、××とこういう会話があったと言い、××はそれを否定している」とだけ把握しておけば良いと思う。


それにそもそも、記録が残っていなければ事実ではないなどということはない。世の中には、真実であっても記録が残っていないがゆえに確認の取りようがない情報が大量に存在する。だから僕は「嘘を嘘と見抜く」能力など存在しないと思っている。ネットリテラシーなるものが存在するとすれば、確認できない情報があるということをわきまえたうえで、それでなお真実に近づこうとする努力。あるいはそんなことを無視して「俺は嘘を見抜く能力がある」「この情報は嘘だと思う」と声高に叫ぶ破廉恥さだ。