「男」という言葉を使わずに「男」を表現する


近年、男らしさだとか女らしさだとかジェンダーフリーだとかの議論が喧しい。


小中学生の教育が絡んでくるといろいろ難しい問題も出てくると思う。しかし少なくとも個々人では男だからとか女だからという言葉を使わずに、おのおのが考える男らしさと女らしさを発揮すればよいだけの話である。


自分が夏休み冬休み土日などは交通誘導のバイトをしていることは何回か書いたと思う。交通誘導のバイトというのはいろいろなところに送り込まれるのだが、郊外の住宅地の電線工事の際には自分で弁当を作ってもっていった。なぜかというと、どこにコンビニがあるか分からないし、分かっても歩いて10分も掛かるところだったら休憩時間がもったいないからである。


自分の弁当は豪快そのものである。ご飯の上に鮭の切り身が一切れ乗っかっているだけであったり、あるいは別の日には焼肉が並べてあったりである。野菜はと言えば千切りにしようとして失敗して無様な格好になったキャベツがちょこっと入っているくらいである。見栄えなど気にしない。一番のポイントは、質ではなく量。つまりご飯をぎゅうぎゅうに詰め込むということである。


で、某所の日記でこの弁当について触れたとき「男の弁当」と書こうとして思いとどまった。俺のつくった弁当はたしかに豪快ではあるが、別に男である必然性はない。女がそういう弁当をつくったり食べてはいけないなどということはないのである。


本当に男と女の身体的な違いについて触れるのでなければ「男は……」とか「女は……」とかいう表現をつかう必要はない。


だから、男だからどうとか女だからどうとか言わなくても「男である(あるいは女である)私はこういうやり方をする」と書けばよいのである。それがカッコいい、素敵だと思われれば普及するし、時代遅れだと思われればすたれるだけである。