自殺前の心の揺らぎ。


南条あや の 「卒業式まで死にません」を読んだ。


南条あや とは、ネットの草創期である1998年から1999年までの間、ネット上で日記を書いていた女子高生だ。日記の内容は、精神科でもらったクスリの話や、リストカット瀉血のことなど。いわゆるメンヘラーの先駆けである。


彼女は1999年の3月、カラオケボックスで服薬自殺を図った。享年18歳。生きていれば、自分より3歳年上だ。


同書は彼女が自殺に至るまでの4ヶ月分の日記を収録したものだ。あくまでも身辺雑記なので、読み終わったあとに本全体を通して印象に残ったものはない。ただ、彼女は読ませる文章を書く才能があった、と思う。流れるような文章で一気に読んでしまった。


さて、この本では最後に香山リカが解説文を書いている。これがクソである。


おそらくこの日記を読んだ人たちはだれもが、南条さんから何かを語りかけられ、私と同じように「もう一回、信じてみよう」「もう少し歩いてみよう」と思い、一度は伏せた顔をまた上げてみたくなるのではないでしょうか。


この部分は、文章の最後に字数合わせをするかのように付け加えられている。前の文章を読んでもなぜそうなるのかが分からない。


自分が南条あや の日記を読んで感じたのは絶望である。たしかに彼女の日記は明るい。自己を表現しようという欲求も強い。しかし、彼女は最後に死んでしまっているのだ。彼女の死は、生前に書いた文章に現われている希望をすべて相対化してしまう。


同書に掲載された、自殺の8日前に書いた文章を読むと戦慄さえ覚える。


これからの長い人生、リストカットしたい衝動と上手く付き合っていくにあたって、まだまだ修行と薬は手放せないようです。


注目すべきは「長い人生」という言葉である。そういう言葉を吐いてなお、約一週間の間で心は揺らいで、自殺に向かってしまうことがあるということだ。自殺前の心の揺らぎの振れ幅は大きい。


いや、おそらく僕もまた、死の直前までブロゴスフィアで意気軒昂とし続けるのかも知れない。