ネットが切り裂く親子関係:親と子の「物語」


随分前のことになるが「岳物語」の定本版なるものが書店に並んでいた。帯の宣伝文句に巻末に「岳」本人の文章が掲載されているとあって、興味を持って立ち読みしたのである。


そこで語られる「岳」の独白は生々しかった。


岳物語」とは簡単に言えば椎名誠が自分の子の岳の成長について書いた私小説のやうなものである。で、定本版の巻末で「岳」本人が言うには、思春期をむかえたとき「岳物語」の中で描かれている自分の姿と実際の自分の姿のギャップに悩んだと書いてあるのである。また、20歳近くになっても「岳物語」のなかの子供のイメージがついてまわり、初対面の人にお父さんとまだ遊んでるんですかみたいな質問をされたとか。(うろ覚え)


で、「岳」は最後に、父は偉い作家だと思うがこの作品だけは好きになれない、と結んだのである。


ネットの普及によって、誰もがそういうことができるようになってしまった。


淡々と事実を書くだけなら良いかも知れない。しかし主観を交えて「物語」を構成しようとすれば破綻する。長い時間をともにした親と子ですら、いや、長い時間をともにしているからこそ、そこで描かれる「物語」は親と子で異なる。ページの存在が子にバレなきゃいいってものではないと思うのだ。もし自分が親になっても、絶対に子供をブログのネタにはしない。


……と、子供どころか結婚してすらいない俺が語ってみる。