ネット右翼から学ぶべきこと?

http://nwatch.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_1d36.html
小杉くん(RIR6くん)が思想の流れについて言及している。読んでいて面白い。ツッコミをいれつつ考えてみる。


小林よしのり氏の主張の超要約の部分が気になった。


「人権はいけないものだから人権を否定するものである国家権力(一応「公」とか言ってオブラートに包んでたけどね)を肯定しよう」


小林氏は「公」と「国家」が違うということは明言していたはずだ。小林氏は薬害エイズ運動に加わっていた。小林氏は運動から離れてからしばらくたってから振り返って「公」(公共心)と「国家」が対立したから自分は闘ったのだというようなことを言っていた。


僕は小林氏の掲げた「公」が如何なるものであったのかが本質的な問題ではないと思っている。問題はそれが人々にどのような形で受けいられれたか、だ。


小林氏は「公」を「反サヨク」感情と結びつけて使った。そのために「公」は実態を持たないまま一人歩きし、日常の生活を律する規範となりえなかったのである。戦争論のなかには「ちんこを洗わず銭湯に入るやつは公共心がない」などというきわめて具体的なことが書いてあった。しかし、そういう部分を真剣に読んだり考えたりした読者がいたのか疑問である。


そしてその後のネットの推移を見る限り、公共心やマナーを極めようとする動きが多数派になることはなく、なんとなく「中国嫌い」「韓国嫌い」「朝日新聞嫌い」「人権派嫌い」というネガティブな感情だけが残った。


小杉くんは「右翼に学ぶべきことは学びながら、我々が行くべき道を単純かつ明確に指し示すべきだと思う」と言う。たしかに行くべき道を指し示すべき、ということには同意である。しかし、そのこととネット右翼から運動について学ぶということには、対立する部分もあるのではないかと思うのである。ネット右翼は勇ましく見えるが、上述したネガティブな感情のほうがメインで、どこか行くべき道に向かって進んでいるようには見えないからだ。