世界に対抗する「私」ですか

RIR6くん、


誰からも愛されなくったって生きていけるのだ。


しかし貴様はこの俺が徹底的に愛してくれるわ。


……それはともかく、本題に入ろう。RIR6くんは確固とした「私」というものが存立しえないことが問題だとする。そして、RIR6くんは自分のなかに浮かんだ「死ぬのは嫌」という考えが、自然の摂理に逆らうものなのか、それとも自然の摂理のままにそう思わされているのか悩んでいる。「死ぬのは嫌」というメッセージは、世界に対抗する「私」の立脚点となりえるか、と。


そうした自分自身の立脚点を探すことに異議はない。しかし、それが君のやっているような思考によってのみ得られるものであるのか、疑問に思う。


というのは「世界に対抗する私を発見しようと」「ブログで主張する」RIR6そのものが世界によって規定されているものではないか、と思うからだ。「世界に対抗する『私』を発見する」という目的を否定するわけではないが、そのためにRIR6くんがいかなる行動をとるのか、とっているのか、僕には分からない。


「世界に対抗する『私』」なるものは「思考」によってしか捉えられないものかも知れない。しかし、だからこそ、僕は自らの思考の基盤となる精神状態を変えていくことが必要だと思う。


別にドラッグとか使えとかいう話じゃあない。たとえば体を苛め抜いてみるとか。


僕は、大学が休みになるたびにフルタイムでバイトをやった。工場で単純作業のアルバイトしたり、警備員をやったり。いずれもそれほど過酷なものではなかったが、それでも自分は立ち仕事に疲れ、家に帰っても何かを考えてブログを書こうという気にはならなくなった。(もっと過酷な肉体労働をやったらどうなるんだろう)しかしバイトが終わった瞬間にはなぜだか妙な幸福感があふれてきた。不思議である。


逆に、どこか南の島にでも行って日がな好きなことをやって過ごしたらまた別の精神状態になるだろう。これも、大学在学中に一度はやってみたいと思っている。


最終的に「自分は世界のなかで踊っていた」という結論に達するのであっても、そちらのほうが有益であると思う。少なくとも僕は。