で、「一線」ってどこの線よ

散々気狂いじみた振りをして記事を書くけど、そのくせ本当に一線を越えることは絶対にない、というか振りすらまともに出来ていない。「日常が地獄だ」というけれど、そのくせ別に周りの環境に恵まれていないわけでもなく、普通の家庭と普通のがっこう、そこそこの幸福に包まれた生活を送る。「反逆せよ!」と言う癖に親や教師には従順、また、逆から見ればそこそこ幸福な生活で学校でも普通に過ごすのに、インターネットでは変なことを書き散らす。

そういう自分自身を否定しているのかな。それとも文章のトーンが否定的に見えるだけで、実際には自分自身をありのままに記述して肯定しているのかな。そのあたりはよく分からない。

以前、僕は君にリアルで会って討論をやってみようという香ばしい提案をした。ウェブの匿名性について議論するにあたって、リアルの討論をアップロードするという形式にしたらインパクトがあるだろうという考えからだった。しかし、君はなんだかんだ理由をつけて乗ってこなかった。リアルで会って討論するっていうのが一線を越えることになるんだろうか。僕にはよく分からない。

それより僕は、君がプロフィールのなかで住所を明らかにしていることのほうが、よほど驚きだ。批判であるとか抗議は、だいたいの場合メールや掲示板でできる。だから住所を明らかにする意味は、訴状の送り先となるという点にある。しかし、君が訴訟を念頭に置きながら文章を書いているとは思えない。一体、君が言う「一線」なるものはどこにあるのか、できればそれを明らかにしてもらいたい。

ところで、この夏、僕は愛知万博に行きたいと思っている。今バイトして資金を稼いでいる。大学の試験期間中にも関わらずバイトをしていることに父は激怒した。が、無視してバイトを続けている。親に反逆することなど、たやすい。

愛知万博に行くついでに君の家周辺を歩くかも知れない。できれば君に会って5分でも10分でもいいから話したい。別に会いたくなければ会わなくてもいいんだけど、たぶん会えなくても君の家の周辺の写真を撮りまくって「RIR6のいる風景」とか題してアップロードすると思う。とりあえず夏に会えるか会えないか、返事が欲しい。


以上、個々の文は明瞭だが全体として何が言いたいのかさっぱり分からない文章を書き連ねてみた。