キモオタの個人情報晒しとジャーナリズムはどう異なるか


(文体変えてみた。)


炎上があるとその人の発言を調べて個人情報を暴くということをするやつが出てくるけれど、住所氏名だとかをプロフィール的に晒すのってキモオタだと思うのですね。公益性がほとんどない。


こうした住所氏名を暴いたりするのが情報に対する興味であるとするならば、ジャーナリズムってのは公益のために情報を集めるってのと、もうひとつ人間に対する興味があるのね。


昔、岩瀬達哉が書いた竹下登の評伝「われ万死に値す」ってのを読んだことがある。もうだいぶ前に読んだ本だから記憶あやふやなんだけど、この本のなかでは皇民党事件という公共に関わることとともに、竹下の最初の奥さんが自殺しているというエピソードを書いているのね。


竹下は最初の奥さんの自殺前、舅との関係を悩んで地元から東京に出てきた奥さんを叱ってしまっていたらしいと。


で、このエピソードは必ずしも興味本位で書かれているのではないというのがポイントね。


竹下登は人の悪口を言わないことをモットーとし、自分の意志をはっきりさせない「言語明瞭、意味不明」の政治家だったのね。


ところが、彼は戦前、軍人に逆らうような剛直な面を見せていた、と。


つまりこれはどういうことかっていうと、最初の奥さんを叱って自殺にまで追い込んだショックが政治家としてのスタイルにまで影響を与えているということなのですよ。


こういう評伝を書くのは大変な労力が必要だと思います。情報と屁理屈が好きで人間に興味がないキモオタには不可能です。