長文を書こうとすると綺麗にまとまらないわ悩むわ。


自分は文章の書き方のたぐいの本に結構目を通しているのだが、一向に文章が上達しない。文章が上達しない原因は、たぶん実力がないからではなくて、そもそも上達させようという気がなかったからだ。ことに4000字を超える長さの文章は、書いた回数自体が少なすぎる。


しかし、同年齢の方がすごく綺麗な長文で評論していたりするのを見て、いつまでも同じところに留まっているのは恥ずかしいと思うようになった。


そういうわけで、コツコツと長文を書いている。書きあがったら公開する。


自分は高校生のころ樋口裕一の「ホンモノの文章力」という本に影響を受けた。樋口氏が提唱しているのは、YES,NOで答えられる問題提起をして、予想される反論を踏まえながら、自分の意見を書く、ということだ。


樋口氏は、これからの時代はYES,NOのはっきりした文章を書くのが良いと言っている。それはたしかにそうなのだけれど、しかし、氏の提供する小論文の技術だけで、さまざまな問題に明瞭に答えていくことができるのだろうか。


ひとつの例を挙げよう。今 僕が書いている「自殺論」のメモから抜粋してみる。ちなみに、ここで出てくる「たしかに〜、しかし〜」というパターンは、樋口氏が提唱する小論文の書き方のなかに出てくるものである。

  • 生きる意味はあるか?
    • たしかに、生きることは人間の本能かも知れない。しかし、それは「意味」ではない。科学的で、普遍性をもった「生きる意味」はない。
  • 死ぬ権利はあるか?
    • たしかに憲法13条には生命に対する権利があると読める。しかし、法律でそれを明文化したものはないし、法の解釈によっては自殺は違法となる。自殺は「公共の福祉」に反するのではないか。

個々の問い(問題提起)に対してはYES,NOを明らかにしている。しかし、全体として「自殺を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか」という点からみると、この2つの問いに対して出した答えは、逆の方向を向いている。


受験小論文で「自殺」について書けと言われたら、どちらかの問題提起だけで文章を書けばよい。実に綺麗に自殺否定論、あるいは自殺肯定論をまとめられるだろう。受験小論文は文章量が少ない。だから、ひとつの論点にしぼっても充分書き上げることができるのだ。


しかし、あるものごとを考える上での視点・論点は多様である。それぞれの視点・論点からさまざまな主張が導き出される。それゆえに、個々の論点に対してYESかNOを明らかにしたところで、結論は出てこないのだ。長文を書くと、どうしてもそういう悩みが出てくる。