ネットの発言が原因で殺されるとき

朝日新聞の「見る聞く話すは今」という恒例の連載が始まっている。
これを読みながら、ネットでの発言が原因によって殺されることもあるかも知れない、と思った。
思いついたことをだらだらを書き連ねよう。

「静かに消される」のはイヤだなぁ


僕は自分が殺されても構わないのだけれど、それでも「静かに消される」のはイヤだなぁと思っている。


ネットのみで活動していたら、たとえ殺されても殺されたことが公にならない。遺族はパソコンを調べ、なんとはなく殺された理由を知るんだろうけれど、遺族自らホームページを立ち上げて死の真相を追及しようとはしないだろう。自分たちも危なくなってしまうからだ。そしてネット上の知り合いたちは「アレ最近、××さん更新しなくなったなぁ。」とか思うんだけれど、そのうち忘れ去られる。


これが「静かに消される」ということだ。

殺される場合の原則


さて、ネットでどのような言動をしたら殺されるだろうか。一般的に言えば「その発言が、現実にある権力なり利益を脅かしうる」という点にあると思う。


普通にネットで議論している分にはこういうことは起こりえない。たとえば「革命を起こせ」という発言をしたとしても、それは理屈のうえでは権力を脅かすものであるが、現実的に権力を脅かすものでなければ、消されることはない。


それゆえに、思想がヤバいというだけで殺されることは、ない。


政治的な理由で消されることがあるとすれば、なんらかの不正について追及するなどの、ジャーナリズム的な行動をとった場合においてであろう。「追及」とはネットに出てきた情報をもとにガタガタ言うことではなく、真相を調べるために具体的な行動を起こすことである。


利益を脅かしうる場合というのは、何も政治家の不正によって生まれる利益だけではない。たとえば、ネットで商売をしていて住所を公開している人も、同業者から嫌がらせを受ける場合はあるかも知れない。ただ、そういう事例はあまり聞いたことがないし、相手を路頭に迷わせるようなことをしない限りは殺されることはあるまい。

例外とまとめ


これ以外の場合でも殺されることはありえる。個別にはいろいろな状況があるだろうが、結局のところ「キチガイに襲われる」ということにほかならない。


まとめると、ネット上での発言によって殺される場合とは、

  • 相手の権力や利益を脅かし恨みを買った場合
  • 相手がキチガイだった場合

この2パターンしかない。前者について言えば、闘うべきだと思ったときには殺されることを覚悟で発言し、闘うべきでないときには闘わないという選択の問題だ。後者については予防のしようがない。


なんかワケの分からない結論だけど、今日はこれでおしまい。