「ネタ落ち」が許せるとき、許せない時。
「彼」のことには直接触れない。受験の結果が出るまで発言を控えろと言った以上、こちらもある程度は発言を控えるのが礼儀であると思うのだ。
少し昔の話をしよう。
2003年ごろ、「2chに超反対!2chは最低!まゆのホムペ 」というホームページがあった。
ログが残っていないので正確ではないが、自称14歳の少女「まゆ」が「友達のサイトが2ちゃんねらーに荒らされた」「2ちゃんねらーは全員犯罪者」と書き連ねたのである。このサイトに2ちゃんねらーが乱入し、併設されていた掲示板はマジレスと煽りとAA爆撃で大混乱に陥った。
いや、実は僕はその祭りに加わっていたのである。
そのとき、2ちゃんねる陣営によって特設のチャット会場が設けられた。興味半分で顔を出してみたところ、「2ちゃんねらーは全員犯罪者」という表現を2ちゃんねらーに対する名誉毀損で告発できないかという主張*1が飛び出していた。
それが伝わったのか伝わらなかったのかは知らないが、一週間もしないうちにサイトに釣り宣言が出た。サイトの本当の管理人は、実は14歳少女ではなく、男なのだと名乗った。多くの2ちゃんねらーは釣られたと悔しがり、とりあえず祭りは終わった*2。
さて、こうした「ネタ落ち」を許せるひとつの要素は、自らの人格を賭して議論に加わったか否かではないか。
この場合で言うと、「2ちゃんねらーは全員犯罪者」という表現があまりにも荒唐無稽である。また多くの人間には、少なくとも自分は犯罪者ではないという確信があったろう。それゆえに「まゆ」に対する反論は激烈を極めたが、反論者の全人格を賭した議論、というほどのものにはならなかったように思う。釣り宣言が出るまで態度としての「真摯さ」を保っていた人間は少なからずいたが、それと議論に人格を賭けるということは違う。だからこそ「釣り宣言」で終わることができた。
しかしこのとき、少数だが釣り宣言が出たあとも「ネタでも名誉毀損は成立する」云々と息巻いていた奴がいた。たぶんその人は「2ちゃんねらーは全員犯罪者」という表現に、人格を傷つけられるような思いをしたのだろう。(まぁ、この場合に限って言えば、2chがアイデンティティの大部分を占めている人ってどうよ、と思うが。)
「ネタ落ち」を許した人はそもそも議論に人格を賭していない。人格を賭した人が、本当に怒るのだと思う。
【本件とはあまり関係がないURL】
- http://d.hatena.ne.jp/nisemono_san/20060212
- 「人格」という言葉が出てくるのだけが共通点。
- http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060214/1139856440
- 「本当に怒る」という言葉が出てくるのだけが共通点。