快楽殺人かどうかは関係なく、酒鬼薔薇は「荒波世代」を語るうえでの重要な事件である。


前回のエントリに対するブクマコメントで、いくつか指摘があったので答えておく。


id:nessko
他の同年代が起こした事件は知らんが、酒鬼薔薇は性的な動機による殺人だったでしょ? あれを世代論で語ろうとしたのがまちがいだったんだよ。

id:michiko78
酒鬼薔薇は動物解剖で初めて性的興奮に目覚めた、快楽殺人者だったと言う、重要な点が欠落しているエントリー/酒鬼薔薇世代などと言う、言葉の濫用こそが問題

僕は前回のエントリで少年Aの性癖に関する記述を書かなかった。それはあえて書いていないのだ。なぜならば、それは僕の世代論を語るうえで必要がないと考えたからだ。


快楽殺人だから世代論として語れないというのは間違っている。

まず、マスメディアは彼の小学校のころの卒業文集、犯行前後にノートに書いていたこと、そして周囲に語ったことなどを活字にした。彼の本意がどこにあるかはともかく、人の生命に特別な意味はあるのかという問いは転じて「なぜ人を殺してはならないのか」というふうになった。それがメディアを通じて同世代、そして同時代人に伝わったのはご存知の通りである。僕は前回のエントリで、行為そのものよりも、それを同世代の人間としての僕がどう受け取ったということを語っているのだ。

また、快楽殺人鬼だからといって同世代の人とまったく違った考え方を持っているとは思えないということだ。

もちろん、彼の犯罪行為そのものは快楽殺人である。言ってみれば「下半身」が引き起こしたものだ。そんなことは百も承知である。彼が被害者である児童の首を締めたときに射精したことが報じられたこと、性的サディズムが原因であると家裁の審判においても触れられたことは事件当時の報道や書籍を読んで知っている。彼が起こした犯罪行為は、彼の特殊性に基づくものだと言えるだろう。ありていに言えば、普通ではない。

しかし、少年Aが阪神大震災に絡めて、村山首相に対するテロ宣言とでも言うべきものを書いたのは、彼がそのような性癖を持っていたからではなかろう。卒業文集は一般的に教師の検閲が入るものだ。その検閲を通ったということは、当時、教師でさえも認めざるをえないほどの深い悲しみと怒りが社会一般に広がっていたからだと考えられるからだ。つまり、彼は当時の社会のなかで普通の少年として阪神大震災に対する感想を書いているのだと思う。これは同世代の発言である。

たくさんの無辜の人が死んだ阪神大震災があったということ。そして首相に対する発言や、人の命はゴキブリと同じという発言。そこには一貫して人間の命に対する「軽さ」を感じる。

少年院を出たあとの彼は発言をしていないから本心でどう思っていたのかは結局のところ想像に過ぎない。けれど、その「思想」自体は彼を殺人に駆り立てた性欲の本体ではないということだけはたしかだ。文意からは彼が当時おかれていた状況を受けて考えていたこと──少なくともその断片──だと思われるのである。


前回のエントリは、以上のことを踏まえてお読みください。