ガチ日記のすすめ

いつから日記は「他人に見せることを意識して書くもの」となったのだろう。



高校生のころ、僕は日記帳を「未来の自分への報告書」だと思って書いていた。ちなみに、ここでいう「日記帳」とはウェブ日記のことではなくノートに書く日記である。


ノートに書き連ねる日記は、他人に見せないことを前提に書く。しかし僕は他人に言えないような恨みつらみを書くことはまずない。僕の日記は、事実を淡々と書いているだけだ。考えたこと、感じたことは最低限しか書かない。しかしそれだけで、とうてい他人様には見せられないものになっている。


また、日常生活をありのままに描写するのに、レトリックで飾る必要はない。本当に淡々と書き連ねている。


なんでそんな日記を書くのかというと、人間の記憶はあいまいだからだ。


僕はある出来事について「自分が言い訳として喋った、嘘ではないが本当でもないこと」だけを覚えていて、あとになって、実際そのとき自分が感じていた「真実」を忘れてしまっていたということがある。真実を思い出したのは、紙の日記によって、である。


他人に見せることを意識している以上、ウェブの日記は自分に都合のよいように書きがちである。しかしそれは自分自身が本当のことを忘れてしまったあとに、「偽の記録」として残る。


だから、自分に対して誠実であるために、ノートに、ガチの日記を書こう。